第90話   庄内竿の思い出 U   平成16年03月29日  

庄内竿を使って、学生時代は夏休みを利用して従兄弟と良く南突堤の付け根の100mばかりの廊下(最上川側)と呼ばれる場所に行ったものだ。今はその廊下(突堤の付け根から最上川寄り)には、びっしりと旧灯台までテトラが入っていて昔の面影は無い。

水面すれすれに敷かれていた100m近くあったトーフ石の上にテトラが敷かれていて、まるっきり下は見えないし、其の付近で釣っている釣り人はシーバス狙いの釣り人ばかりで黒鯛釣の姿は見えなくなった。毎年7月中頃からの梅雨の末期の雨が降り続き、濁りが入ると必ず2050人の釣り人が並んだ場所である。

二間一尺の延竿に軽い錘をつけ上流に投げる。ここの海底は障害物が多く一尋から一尋半しかない。岸の方から竿を振ると手前のトーフ石の一間位先のポイントに止まる。そこでじっと待つのである。本来は錘なしで餌の重みだけで釣るのであるが、最上川の流れがきつくどうしても錘を付けたくなる。そこで酒田の釣り人は、鶴岡の釣り人が緩い潮の流れで釣っているのと異なる釣り方をした。どうしても錘をつけた釣になってしまう。其れも雨で増水した時のきつい流れの日に釣ったりするので重くなりがちであった。其の為、海底の障害物に引っかかる事もしばしばである。しかし、細くしなやかな庄内竿に当りが出る時の感触はなんとも云えぬものがあった。

第一の引きは少し竿先を押さえ込む当りで、第二の当りも其れに近い物である。ついで3回目の当たりは本当りで穂先を水中にまで引き込むほどの当たりがある。その瞬間に合わせれば必ずと云って良いほど釣れて来る。胴調子の庄内竿ではほとんど竿先を送りこむ事なんて事はいらない。竿自体が柔らかいので魚が竿を異物と余り感じないのである。魚が釣れれば竿は満月にしなるので、釣り人にとって釣っていてこんな面白い釣はない。数を釣る人は少し固めの竿を使うが、カーボンやグラスロッドの比ではないからそれでも結構楽しめる。庄内の釣り人はこの様にして子供の頃から数を釣る釣よりも楽しんで釣る釣を自然に覚えて来た。

子供の頃は、板鉛が全盛で今の様にガン玉等はなかったので、出来るだけ小さく巻いて障害物に引っかからないようにした記憶がある。そんな足元みたいな場所で黒鯛の子の二歳、三歳が面白いように釣れた。また、運が良ければ尺34寸のクロも釣れた。茶色に濁った水は安心して魚を足元の浅いところまで来させていたのである。現在の様に撒餌を打つと云う釣などはした事がない。午前中に水の濁りを確認して、餌(ゴカイ)を捕まえ夕方の4時ごろに出かければ510枚と大漁である。

継竿の二間半以上の竿を使っていた大人の釣り人は、当時高級な餌であるマエ(岩イソメ)や川エビをふんだんに使って1020枚は当たり前であった。お金のない学生の自分は、竿を買うのが手一杯で高級な餌を買う事が出来なかった。だからいつも自分でシャベルを使って浅い汽水に居るゴカイを掘るしかなかった。

それでも「いつか大人になったら、思いっきりマエやエビを買って・・・自分も!!」等と思いをめぐらしながら釣りを楽しんだものだ。